遂に、この日が!梅雨も明け、すっかり真夏の南砺市井波に、再びやってきた。
今年5月。わたしは、南砺市井波の西別院でサバ寿司作りを体験した。惜しみない手間と、体力を消耗させて作ったサバ寿司は、あのサバ菌の間で、いったいどのような姿になったのか!?
南砺市にある3つのお寺、西別院(井波)、瑞泉寺(井波)、善徳寺(城端)では、毎年5月にサバ寿司を作っていて、2か月間の熟成ののち、夏の法要で「お斎(とき)料理」としてふるまわれる。今回は、西別院と瑞泉寺のサバ寿司を食べ比べるという、なんとも贅沢なツアーに参加した。
八日町通りを歩き、「太子伝会」でにぎわう瑞泉寺へ。瑞泉寺のサバ寿司が入った“お斎弁当”を調達するのだ。と、その前に瑞泉寺の大門(山門)を見学。大門は、富山県の指定文化財で、年に一度の「太子伝会」にあわせて解放されている。
その二階には釈迦如来などが安置されているのだが、驚くのは天井絵の美しさ…と、傳大師の息子たちの像。
父である傳大師を指差す左の普建童子に、ワォ!と言わんばかりの右の普成童子。当の傳大師はピースサインだし。親近感のあるポーズに、笑ってしまったが、これらは江戸時代につくられた像だそう。傳大師は、輪蔵(回転できる書架にお経を収めた蔵のこと)の創始者とされている。
幕末から明治にかけて、瑞泉寺に経蔵の建設が計画され、そこに設置される予定の像だったのでは!?とのこと。いやはや、いいものを見せていただいたと、狭く急な大門の階段を下り、“お斎弁当”をゲット。いよいよ、西別院へと向かう。
よく考えたら、とても寛大なお寺ですよね。
他のお寺(瑞泉寺)の“お斎弁当”を持ち込んで、サバ寿司を食べ比べるなんて。ご挨拶にいらしたお寺(西別院)の方も、「いや~、こうやって見ることもないのでねぇ」と話しながら“お斎弁当”を覗き込んでいた。
ご飯、車麩、ナスの煮物にサバ寿司。おかずの構成は同じなのだけれど、もちろん味わいは、全て違う。心を込めて手を合わせ、いざ、実食。
黒塗りの弁当箱が、西別院のお斎料理。これが、2か月前に、わたしが漬け込んだサバ寿司かぁ!
蓋を開けると、甘い麹の香りがふわりと立った。サバ寿司を箸で運ぶと、山椒が香る。トロリとまるい味。もう、魚じゃない。チーズに似た別の食べ物になっている。一つの樽に、たっぷり一升の若駒が注がれていたのに、酒っぽさがない。手を真っ赤にして入れていた唐辛子も、ほどよい辛さに。山盛りの山椒の葉は、すっと爽快にサバを引き締めていた。驚いた。乳酸発酵って、スゴイんだな。
続いて、瑞泉寺のお斎料理。こちらのサバ寿司は、ガツンとサバ。酸っぱい?いや、しょっぱい?いや、辛い?いや、コク深い。順にやってくる味わいの変化を楽しんでいたら、あっという間になくなった。こちらは、酒の肴にぴったりだ。
同じサバ寿司でも、こんなにも違うなんて!比べてみないと、分からないこと。
いづれのサバ寿司も、いつから誰が作り始めたのか、その起源が、はっきりしていない。けれど、毎年7月の法要にあわせて人が集まり、サバ寿司を愉しみの一つにしてきたことは、間違いないのだろう。だから、サバ寿司は、伝え、伝わり、続いてきた。
南砺市では、3つのお寺だけでなく、井波、福光、城端エリアのお魚屋さんでも、サバ寿司を作っているそうだ。それらを含めると、ざっと10種類程あるらしい。とは、その全てを食べ比べたことがある女性から聞いたお話。
今回、わたしが食べたサバ寿司は、両者とも麹を使っているが、城端の善徳寺で作られているものは、お米が使われている。こちらは是非、来年、試してみることにしよう。
◎協力
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