こんにちは!アンティークバイヤーの鍋島 綾です。
今回は、デンマークでの買付け旅行の話…ではなく。「襤褸(ボロ)」に魅せられた母の、初!海外個展のお話。
と、ちょっとその前に。「襤褸(ボロ)」と母の紹介をしますね。
あれは私が小学生か中学年の頃でした。岐阜県高山市で農家をしている母方の祖父母を、母と一緒に訪ねた時のこと。
いつものように、ほっかむりをして農作業をしていた祖母が、母を見るなり一言。
「おま、雑巾みてえな格好しとるんでないかよ!」
横に立っている母を見ると、確かによくわからない、つぎはぎの服を着ています。(私のお母さんて、雑巾みたいな服きとるんや‥)と、なんとも言えない気持ちの娘とは裏腹に、
「これがいいんやさ!」
と自信満々な母。
祖母はそんな娘を見て
「あれこーえーな!(こわい=高山弁で恥ずかしい、心配な、申し訳ない)」と、
目をギューっとつぶって笑っていました。
母はその数年後、2000年に高山市で「藍夢」という骨董屋を開きました。
古道具や食器など、たくさんのものを扱いましたが、得意分野は古布。様々な古い布を仕入れる中で出会ったのが、「襤褸(ボロ)」でした。
その名の通り、襤褸は「ボロボロになった布切れ」のことです。
今から150年ほど前、日本は物資が乏しく、庶民にとって木綿布は特に貴重なものだったそうです。
人々は、「一粒の豆が包める布は捨てずに大事にせよ」と教えられ、衣服を何十年も世代を超えて受け継ぎ、繰り返し繕いながら大切に使い続けました。
破れた部分には端切れを当て、擦り切れればさらに重ね、衣服として使えなくなれば布団や敷物、最後には雑巾になるまで使い切る。
このようにして徹底的に使い尽くされた布が襤褸(ボロ)と呼ばれます。そう、それは祖母が「雑巾」と言い放ったようなもの。
そして「こわい(恥ずかしい)」と言ったように、当時は貧さの象徴であり、恥ずべきものだったそうです。
でも母は、そんな襤褸(ボロ)から感じる、先人の手仕事や時間の経過、家族やものに対する愛情に魅せられました。
2015年にお店を閉めた後も、母は襤褸(ボロ)を収集しては修繕を加え、保存をしていました。
襤褸(ボロ)は現在、その特有の美しさが評価され、「BORO」として、海外を中心に、特にアートやファッションの分野で注目されているそうです。
そして時が過ぎ…。
2025年の6月、母はそんな「襤褸(ボロ)」の個展をデンマークで行うことになります。これまでに、日本では何度かありましたが海外では初めてです!
きっかけは去年の秋。
『ゆるりと風に。ここは北欧』の出版記念イベントにあわせて、デンマークの友人が我が家に訪ねてきた時のこと。母の襤褸(ボロ)を使った作品を見た友人が「ぜひデンマークで個展を開きましょう!」と言ってくれたのです。
友人がつけてくれた個展のタイトルは「Wabi Sabi – skænheden i det uperfekte 侘び寂び–不完全の中にある美」でした。
〝長年の夢”だった海外個展の決定に、驚きを隠せない母でしたが、それから出発までの半年間は、制作に励んでいました。
補修程度の、あまり手を加えていないものから、アートパネルやベストまで、およそ30点の作品をたずさえて、いよいよ、我々、母娘はデンマークに降り立ちました。
なんと、会場となる場所は、〝かの場所”でした…。
>>後篇へつづく
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【プロフィール】
鍋島 綾(富山県生まれ)
大学でデンマーク語と北欧社会福祉を専攻。
会社員勤めの後、アンティークバイヤーとして
2016年から北欧と日本の間を行き来している。
鍋島 綾(著)『ゆるりと風に。ここは北欧』/桂書房 はこちらから。
編集/永井千晶